2017年からの九州遊会は…


2017年の九州遊会は、「伝える/伝わる」を軸に展開します。
日々の慌ただしさに流され、ついスルーしがちなあれこれを卓上に並べ、
多彩な視座と様々な手法によって、存分に語り合える場に仕立てます。

第一弾は「熊本地震」をもとに、
情報のふるまい、記憶と記録について取り上げます。


●刻まれた記憶と語りつぐべき記録 
  ~熊本地震をふりかえる~

震度7の地震が二度も発生した熊本。九州遊会では、地震発生から2週間後、急遽故郷の熊本と福岡を連日往来して支援活動をする光澤大志さんにチューターをお願いして、現地の混乱する状況や報道から伝わる内容とのギャップを語ってもらい、その一部をUstreamで配信しました。

あれから1年。余震の数も減少傾向となり、テレビや新聞や雑誌、ネットニュースなどから届く熊本地震関連の情報も以前よりぐんと減ってきました。それらに比例するように、被災された方や周囲の方々以外の多くは、あの時の危機感は薄れはじめている?と感じることがあります。かくいう自分もその一人かもしれません。

人間は忘れやすい生き物である、といいますが、どんなに悲惨なことが起こっても、時間が経つにつれて記憶は薄れ、日常に戻っていくものと割り切るしかないのでしょうか。その中でも忘れてはいけないこと、伝え続けなければいけないこともあるのではないでしょうか。

いま私たちが過去について知ることができるのは、先人達が残した文献や書物などの記録のおかげです。後世に伝えるために、これまでどんな工夫をし、私たちになにを残してくれているのかーー

地震の発生リスクは低いとされてきた熊本での大災害。古文書をひも解くと、幾度も大きな地震に見舞われてきた土地であったことが記録されています。最近では明治22年に発生した地震が今回の熊本地震と近似しているものだったことが、『熊本明治震災日記』(水島貫之氏著)に克明に記録されていることがわかりました。震災以前は存在すら知られていなかった資料で、たかだが128年前の教訓は活かされないままだった、といことになるのでしょう。

そうした事例はこの件だけには留まらないだろうと思います。これから起こるであろう災害や事態に直面した時のためにも、刻まれる記憶と語りつぐべき記録、その手法について語り合えればと思います。


●メディア再考 
 ~マスメディアからSNS、うわさ話まで~

遠く離れた場所でおこった事件や事故は、マスメディアによる速報やインターネットのニュース、SNSでキャッチします。何事かが起こったことは察知するものの、情報源があまりにも多方面にあり、虚実もつかめず、翻弄することもしばしばです。事実かどうか根拠を調べることもなく拡散する。それがフェイクニュースだった場合には、事態はますます絡まってしまいます。

ネット環境が整い、SNSなどを通じて気軽に情報発信できる現在、個人も一端のメディアで発信者である「自覚」を持つことは当然として、無差別に届く情報の虚偽を見極めながら、情報発信する側の作法も同時に問われているといえそうです。

あわせて、現代のメディア事情や環境だけでなく、メディアの歴史もさかのぼってもみたい。言葉を話し、文字を発明し、文章を綴り、書物を編み、印刷技術を開発し、写真や映画やラジオやテレビ等の放送技術を生み出したメディア史の延長にあることを知り、飛び交う情報や環境に右往左往することなく、歴史を俯瞰するような視座で捉え直す時間も持ちたいところです。

上記のことを踏まえて、今年の九州遊会は情報伝達の作法と手法のあり方、伝え方、伝わり方について語り合います。同時に、九州遊会ならではのメディアの手法と可能性も探っていければと考えています。  (YUKIYO)